« 自家製「玉ねぎ」で・・・ | トップページ | お許しくださ~い »

2012年5月28日 (月)

「おはようMBS・・・」

「川村龍一さんが死んだんやて」と新聞を読んでいた

カミサンが私につぶやく・・・

「エッ!あの『ヤングおー!おー!』の川村さんかいな?」

カミサンは驚いたように「何で分かるん・・・?」でしたが、

Images_2

吉本興業がテレビで大躍進をするキッカケになった

公開放送バラエティー「ヤングおー!おー!」

仁鶴&三枝師匠の司会で、進行役は当時MBSの看板

アナウンサー「斎藤務」氏、その進行役の2代目に

抜擢されたのが川村さんでした。そこで初めて彼の存在を

知りましたが、この番組よりも私が強く印象に残ってるのが

ラジオです、月~金の朝、浜村さんの前だったでしょうか?

優しく包み込むような喋り口調で、元気で明るく、まさに

朝一の番組がピッタリくる印象でした。元々は音楽評論家で

音楽DJでFMで番組をやっておられたパーソナリティですから、

専門的なことも詳しい方でした。

阪神淡路大震災の時は、もう大阪の放送は聴いてません

でしたが、後に知ったのが、通勤途中に震災に遭遇し、

携帯電話でその生々しい被害の様子を番組で流したそうです。

「阪神高速三号線が落ちてます」の実況は衝撃的で、この

災害の大きさを知らしめた声だったと今でも語り継がれてる

そうです。

心より「デデさん」(愛称)のご冥福をお祈りいたします。

 

 

|
|

« 自家製「玉ねぎ」で・・・ | トップページ | お許しくださ~い »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「ヤングオーオー」で、オープニングに

客席を歩きながら、観客にマイクを向けて

「ハッピー? ハッピー?」

と聞いていくと、聞かれた相手は

「ハッピー!」と答えていく…

そんな時代の象徴的なシーンでした。

「今月の歌」というものもあり

「あのねのね」なんかが出ていました。

勿論、仁鶴、三枝の人気でもっていた番組ですが

「川村デデ」さんの声と顔は

あの番組の、文字通り「顔」でしたね。

一人、また一人…

時代の人が亡くなっていきます。

寂しいですが…

それが「時の流れ」なんでしょうね。


「昭和」という時代が、少しずつ遠くなる昨今

悲しむだけでなく、評価し、賛美すべきなのでしょうね。

この「デデさん」の功績も…

投稿: ヤマサキ | 2012年5月29日 (火) 01時00分

「ヤングおー!おー!」は

まさに大阪の笑いらしい公開番組の元祖でしたね、

お江戸の笑いは客席と演者の境界線がキッチリ

していて芸を見て笑うだけの感覚ですが、大阪は

客席も一緒になって、みんなで盛り上げて楽しもう

そんな雰囲気がありました。

それこそ落語も漫才・漫談もコントも歌や踊りも

全てが一つの舞台に集約された大阪バラエティでした。

それを陰で脇で上手く進行していたのが、地元の

アナウンサーやらデデさんのようなパーソナリティー

でした。「昭和の匂い」プンプンですね~・・・

大阪の生協で仕事していた頃、斎藤務さんの自宅

マンションも訪問したことあります、残念ながら

ご本人とはお会いできませんでしたが・・・
                                 

投稿: ゆず親父 | 2012年5月29日 (火) 08時46分

「ヤングおー!おー!」、見てた世代ですが、ちゃんと出演者を知って見た頃じゃないので・・・・・・

川村龍一さんを知ったのは、MBSの朝の番組。

確か、その放送後に、浜村淳さんの番組だったんじゃ・・・・

「トラ・カチキン」のコーナー等、覚えてましたが、とうとう逝ってしまったのですね。。。

投稿: たつや | 2012年5月31日 (木) 23時21分

たつやさん

大阪で仕事していた頃は

「一番に入れるスイッチなんでしょう~

来る日来る日も毎日放送、ありがとう…」

一日中MBSでした。こちらに帰っても朝の

通勤時は「デデ」さん聴いてました。

「トラカチキン」ご存知でしたか~さすが~!

                   

投稿: ゆず親父 | 2012年6月 1日 (金) 08時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 自家製「玉ねぎ」で・・・ | トップページ | お許しくださ~い »